日記を書き始めて、どうしてもやっておきたかったこと。

それは以前の話の中にも出てきた、BMに関するお話。

世界選手権が横浜で行われ、初めて日本選手権大阪予選を抜けた2000年。

突然、BM大阪でバイトをするようになった。

きっかけは本当に突然。

その頃は入り浸るように、BMに通っていて大学生だったというのが

大きな要因だったのかどうかは、今となっては分からない。

ともかく、それからしばらくはひたすらBMのことを中心に考えて

Magicをしていたように思う。

一緒にバイトをしていたSさん、Kさんが、

特定のカードをコレクションするのを見ているうちに、

集め始めた《死者の守り手/Keeper of the Dead(EX)》は、

現在のこのページのゆえんにもなっている、思い出深いカードだし。

《ブラッシュワグ/Brushwagg(MI)》、《アーテイの使い魔/Ertai’s Familiar(WE)》との

交換のために、カードショップの10円箱をあさったりもした。

そういう意味で、本当に充実していた時期だった。

おりしもその頃大阪では、『プロショップAdept』様が、

まさに関西一(というよりは日本一)の活躍を見せている頃で、

冷静に考えて、プレーヤーレベルという点では、

まったく及ばなかったBMでは、商品の質、値段の安さという点で勝負していった。

ところが・・・。

とにかく、どこに行くにもそれを意識しすぎる
自分がいたのである。

BMを意識すること。

「がち」のマジックで遊ぶこと。

いつの間にか、「がち」のマジックに固執するようになっている自分に

次第にいらいらする所が強くなっていった。

ちょうど、この頃私生活でも大きなトラブルがあった時期で

肉体的にも精神的にも辛かったのもあって、バイト先でも浮かない顔を、

してしまっていたのだろう。

・・。

S氏と思い切り、喧嘩になった。

それからは、事務の仕事を主にするようになって、

MTGをプレイする機会は格段に減っていったのだが、

変わりに多くの事務の知識を得ていけたのは、今になって大きな財産になっている。

その後2003年9月。

バイトを始めて3年目にしてBMでのバイトをやめ、

名古屋に戻ってきた。

喧嘩別れの原因はこれ以外にもいろいろあったのかもしれない。

ただ、ひとつ言えるのは自分が若かったというのもあるんだと思う。

お互いに、謝罪の言葉を発することもなく、

それが年月を重ねていくうちに

嫌悪にも近いものに育てていってしまった。

もっともこれは僕の中でだけ、育てていってしまったものかもしれないけれども・・・。

今では日本で有数のジャッジになって活躍しているS氏に、

MTGの本格的なプレイができているうちに、

Web上という形ではあるけれども謝罪したい。

「あの時はすみませんでした。」

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